ハラとの出会い
多分、この話題をするのは 一回キリです(笑)
夫が亡くなったのは、14年前の桜が満開の頃でした
私が39歳のときです
次男の入学式の最中に連絡を受け、身元確認に出向いた県外の警察署で、ハラと初めて出会いました
私の父へ、葬儀の見積もりを取るよう頼みましたが 突然のことでオロオロして役に立ちませんでした
事情聴取の合間を縫って、愛知の自宅からメモしていた何軒かの葬儀屋へ自分で電話し、葬儀の見積と遺体の引き取りを依頼しました
我ながら強いし、しっかりしたオンナだと思います
その際に、一番安かった葬儀屋の電話に出た営業担当がハラでした
そのにいちゃんは
「県外でも 高速代程度でご遺体をお迎えに上がりますよ」と言ってくれ、そのまま1時間半ほどかけて来てくれました
夫は亡くなる前、3年間、無職で、私が我慢の限界を超え、その春から別居する予定でした
結局、行き場を失った夫は自死を選びましたが、私が死なせてしまったと今も思っています
こんな状況ですから、お金もなく お坊さんやお経をあげてもらうお金もなかったです
ハラは「僕でよければ」と、家族だけの通夜や告別式でお経をあげてくれ、その後の借金の整理のための弁護士相談や、相続放棄、年金事務所、役所手続きについても、愛知で身寄りのない私に力を貸してくれました
今から考えれば、彼に下心があったのかもしれませんが(笑) 親切にサポートしてくれました
もっとも 私は、彼は既婚者だと思い込んでましたので そういう対象ではなかったですけど😅
少しずつ、ハラとは距離が近づいてきて、タメ口をきくようになり なんだかんだと14年が経ちました
あのとき、あの葬儀社の20人はいる営業の当番がハラでなければ、私たちの縁はありませんでした
不思議なものです
息子たちには、彼氏という存在は隠してきました
何かあったら親切にしてくれる葬儀屋のハラさんです
ハラから金銭的な援助を受けたことはありませんし、私の恋愛に子どもらを巻き込まないことがポリシーです
子ども優先だった私に、日陰の存在として、たくさんの我慢をしてきてくれたハラには感謝しています
息子らが年頃になってからは わかっている気もしますが お互い言いません
結婚するつもりはないし、それでいいかと思っています
桜が咲くと 毎年、心がチクッとします
だけど、子どもらを育て、生きていくしかないと自分に言い聞かせてきました
三男を、大学卒業させたら、私の罪を亡夫は もう許してくれるかなぁと思っています
そこまでは、もうちょっと がんばらないとね‼️
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。